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ファッション・アパレルの歴史

戦後〜1950年代

衣料配給の時代 繊維製品の販売は自由ではなかった

マーケットの時代

第二次大戦終了直後は物が足りない時代。終戦直後しばらくすると、東京の新宿や大阪梅田、名古屋駅西口など都市の繁華街やターミナルにやみ市が立ちました。○○マーケットなどと名付けられ、どぶろくや芋、それに衣料品などが売られました。軍物やワイシャツなどどれも高額で取引されることに。当時のファッションは男性は軍服に長靴。女性はモンペ。昭和22年になると衣料品の配給制が復活しました。業者は配給品を製造するのみです。しばらくすると、海外でクリスチャンディオールがニュールックを発表。その影響は日本にも上陸。女性もおしゃれをするようになり、スカートを履く人が増加。ただし、古着や古布などの和服地を縫い合わせて作ったものばかりでした。その後はデフレの影響もあり繊維産業は恐慌状態に。

ガチャマン景気

恐慌に陥っていたアパレル・ファッション業界ですが、1950年の朝鮮動乱による特需に沸きます。衣料切符制も廃止され、繊維製品を自由に販売することができるようになりました。まさに追い風ばかりのこの時期、生産地では機械をガチャっとやれば数万円ということでガチャマン景気と呼ばれました。国内モデルも登場、百貨店が海外モデルと契約を行うなど、当時のトレンドセッターは百貨店だったのです。合繊もこの頃から本格操業して、販路を拡大。繊維の産地である、都市の繁華街では人があふれ、繊維産業が戦後の景気回復に一役買いました。

もはや戦後ではない

1956年に発行された『経済白書』には「もはや戦後ではない」と掲載されました。神武景気と呼ばれ、産業界は発展。国民の生活水準もあがり、三種の神器とよばれた「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」などが普及しました。繊維産業でもナイロンやポリエステルが開発され、合繊は更に発展。これらの素材は、綿や麻といった自然素材に比べ、強度や耐久性に優れていました。1957年になると量販店のダイエーが初出店。大量生産・販売、セルフサービスの形式をとり、価格破壊を旗印に躍進。
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